おたまじゃくし 結婚6年目の休日。3歳の息子が昼寝しているとき母に留守を頼んで夫婦で散歩に出た。近所の雑木林を歩いていくと夫が水のたまり場におたまじゃくしを見つけた。さらに少し歩いた所ではカエルのタマゴも発見し「見せたら喜ぶだろうね」と話していた。 後日バケツを持った息子を連れてタマゴを採りに行った。透明のチューブの中に黒くて丸いタマゴ。大きさは正露丸くらい。息子は「かわいいー」と声を上げて喜び「お母さん採って」「はやくはやく」と興奮した様子で急かしてくる。「自分で採ってよ」と言ってみると「やだよ」と怖がり、目はタマゴを見たままで私の背中をぐいぐい押してくる。 バケツでタマゴを20個くらいすくってやると、顔を近づけて離さない。雨が振り出してきたので急いで家に帰る。早歩きなので、バケツの水がこぼれそう。私が手を伸ばしバケツを持とうとすると息子は「ダメ、イヤダ」と言って手に力をこめた。 無事家に着いてバケツは玄関に置いた。しゃがんでジッと観察を続ける息子。彼の鼻息でバケツの中のタマゴがゆらゆら揺れるほど真剣だった。 観察中の息子をそのままに、私は部屋の片付けを始めた。十数分、静か過ぎるので変だと思っていたら、どこからか虫かごを探してきて中にカエルのタマゴを3つ採り水道の水を入れ寝室へ持ってきた。「うええ。寝室は嫌だな」と内心思ったが知らない振りをしていた。 「かわいいねえ」と3つのタマゴに話しかける彼に「それどうやって取ったの?」と聞くと「手で捕まえたの」と言う。やればできるのか。と思ってうれしかったが、偶然だったのかもしれない。 1週間が過ぎて、寝室のタマゴはおたまじゃくしになった。それがはじめて泳いだ時、息子は両手を万歳して「やったやった」とジャンプして喜んでいた。玄関のタマゴは5分の1くらいがおたまじゃくしになった。 2週間が過ぎて寝室のおたまじゃくしが1匹死んだ。昼間に見つけたが息子が帰る夕方までそのままにして見せた。「おたまじゃくし死んじゃうから山に帰そうか」と言ってみるが断わられた。カエルにまで育てて放しに行くのが彼の目標なのだ。 寝室で飼っているおたまじゃくしは、1匹が奇形で尾ひれが小さかった。もう1匹は大きくてよく見ると足らしきものが生えそうになっていた。息子が目を凝らしてそれを確認したとき「足が生えて頑張りました。拍手しましょう。」といって手をパチパチし喜んでいた。そんな表現どこで覚えたのか。彼の成長がまぶしい一つの場面であった。 それから数日後、寝室のおたまじゃくしの元気が無いので、息子と相談して玄関に置いてあるバケツに入れてやることにした。「みんな一緒になってうれしそうだね」二人でバケツをのぞいて声をかける。おたまじゃくしは2センチ位になった。何匹カエルになれるのか。おたまじゃくしには申し訳ないがもう少し観察を続けさせてもらう。 自然に触れている時の子供の目は興味津々輝いている。落着きのない息子でもジッと目を凝らすことができる。そして一つをきっかけに色々なところに目がいくようになるのは面白い。 例えば以前、スーパーに行く道の途中にある畑でブロッコリーが栽培されていたとき「植物は話しかけると喜ぶんだって」と息子に教えると、畑の中に飛んで行き、葉から小さな顔を出しはじめたブロッコリーに「かわいいね」「元気でね」「また来るよ」と一つ一つに声を駆け回っていた。 その後、畑を通るたびやるようになったし、庭の花にも「きれいだね」などと話しながら水をやるようになった。土手でつくしを見つけたり、道端のありんこに気付いたり、ただ通り過ぎてしまうくらいの当たり前にある自然に気が付くようになってきた。 「自然」「季節」「命」大切な事だがそれ自体を子供に教えることは難しいな、といつも思う。しかし、子供はもともとそういうものが好きだし、我々大人よりも敏感なのではないかと思うこともある。だから少しのきっかけを一緒に見つけてやれば、後は自ら学んでくれるのかもしれない。 今日は千日紅という花の種を買ってきた。種の入った袋にある説明書きを読むと、種まき時期は「桜の花の咲く頃より6月中旬まで」とあった。桜前線が南から北まで春を運んでくる様子が心に浮かぶ。どこに住んでも春の香りを楽しむことができる幸せ。息子には、たとえ大自然に暮らせなくても、身近に自然や季節を感じるようになってほしい。「命」に喜びを感じる人間になってほしいと願っている。
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