私は、四半的弓道の愛好家で古武道も研究家しています。的を得るという快感は素晴らしい!
■飫肥藩奨励弓術武道「四半的弓道」■
九州の伝統的弓術武道として400年前から伝わる「四半的」を武道という観点で愛好しています。
戦国の闘いの中で、島津勢を悩ませた伊東方の遊撃隊は半弓を武器として戦場で活躍しました。




トップページ
概  要  紹  介
新  着  情  報
掲  示  板
リ  ン  ク
四半的弓道関東稽古会
関東稽古会天満宮道場
半弓術古流射法
弓道に関する研究
日本刀の歴史



武道の精神とは、仁、義、礼、忠、孝、勇、信、を柱とした教えであり、儒教の教えを汲む人生哲学です。仁、即ち、人へのおもいやり。義、即ち、人の行うすじ道。礼、即ち、人への敬い。忠、即ち、人へのまごころ。孝、即ち、親を含め人に尽くす。勇、即ち、挫けない強いこころ。信、即ち、人を欺かず真を尽くす。要するに「人を裏切らず、礼儀正しく、最後までまごころ込めて、すじ道を通して生きていきなさい」これが武道の精神支柱です。



飫肥藩が奨励した半弓術

宮崎県日南市の旧飫肥(おび)藩城下に伝わる弓術「四半的弓道」を武道弓技として愛好しています。また、文献などをもとに半弓の特徴を活かした戦場射法や、古流射法なども研究しております。実際に、戦国時代には朝倉流半弓術や佐々木流半弓術、そして伊賀・甲賀の半弓術、また、薩摩日置流には腰弓という大弓の戦場射法があります。こうした実戦に用いられた半弓の射法が現在まで受け継がれ、かつ多くの愛好者が存在しているのは、飫肥の半弓術である四半的弓道だけではないでしょうか。四半的の射法は斜面打ち起しを基本とした日置流の射法に影響されていると聞きます。また、本来の半弓は、四半弓とは異なり、あくまで大弓を短くした弓であり、それに応じて矢も短くされています。弓と矢が同じ長さになっているのは、四半的弓道の特徴です。(飫肥の伝統的弓術四半的)


■ 武射系・日置流弓術の「伏射の形」■

四半的(しはんまと)は、九州の宮崎県日南市飫肥(おび)地方(旧飫肥藩城下)に伝わる半弓を用いる武道弓技です。射形は旧飫肥藩に伝わる日置流弓術に影響され、的前斜面打ち起し(一般弓道は正面打ち起し)の正座姿勢による「伏射の形」の体配を正式としているようです。古流弓術、特に日置流を研究しますと、この体配にもいささか疑問がありますが、永い年月の中で四半的独自に進化してきた体配だと思います。もっとも、四半的弓道として紋付袴姿による正式な射礼を拝見したことがありませんので、詳細はわかりませんが、大会の写真や冊子等で拝見する射形は、自己流も含めてかなり個人差があり、統一された流派の形稽古ではないようです。大半の愛好家が、稽古着や袴を着て行う礼法・作法という形稽古ではなく「競技」を主体に的当たりを重視している感じがいたします。

私が稽古している道場(関東稽古会)では、宮崎県四半的弓道連盟の正座射法を正式な連盟制定競技射法と認識しておりますが、個人的に半弓術の歴史・伝統的弓術の観点から学んだ体配などを参考に古流形を研究、いくつかの戦場射法の形で修錬を積んでおります。中でも、十三棋道舘道場の弓刀吹将子こと北川先生(日置流印西派日置當流浦上同門会)との情報交換の中でご指導・提供していただいた内容は、半弓術の射法としても大変参考になるものです。先生の体配は、当稽古会の射法研究課題でもあり、弓術武射の要素を加味した「摂津流・甲矢乙矢一手の体配」は半弓の稽古形としても必携です。

  道場射位 ・本坐

 

■ 四半的の武道という一面を追求する ■

「四半的弓道」という名称ではありますが、今日では「的中率を競う弓技スポーツ」の感が強くなっていると思えます。もともとの発祥が武術であることは事実ですが、現在となっては継承されている四半的弓道の流派・家元はすでになく、残念ながら江戸時代の泰平の世では、農民・庶民の弓遊戯になってしまったようです。現在の競技愛好者は年配者が大半で、「誰にでも簡単に出来る弓道」というところは大変評価できます。中には、ゲーム感だけが先行してしまい安易な方向に流れ、武道としての位置付けが希薄になってしまうのが心配という人もいますが、手軽にできる弓道だからこそ今も人気があるのではないでしょうか。私は、今後も四半的は発展していくものと思います。ただ、半弓の特徴を研究した武道としての「半弓術」を追求することも大切です。武道・武術としての要素を体配に残し、他流の弓術射法を形のなかに組み込み、射法や弓剣術を私的に考案している弓術武道研究家とご理解ください。私ども、「有志研究会」では、大弓、半弓、居合、杖術、薙刀、種子島砲術、合戦兵法などについても研究しています。四半的については、武道としての伝統を守り新たな可能性を追求したいと思います。

  
 

■ 甲冑武者を相手として戦う半弓の威力 ■

合戦で使われた四半弓は、現在の弓の三倍の強さがあったといわれ、至近距離では甲冑をも貫通させる威力がありました。おそらく実戦の場においては最低でも10キロ以上の弓力を有する弓を使ったと想像されます。(現在使用している半弓は4〜6キロ内外です)と申しますのも、甲冑武者に相手に戦うとすれば、矢の貫通力が大きな問題となるわけですし、現在の競技で行われている四間半の有効射程では、武器として使えないでしょう。飫肥藩の日置流半弓術の元になったのは、伊東と島津の合戦で半弓が実戦に用いられたことからはじまりました。合戦場で武器として使用できる弓の狙撃最低射程距離は15間(28M)、狙撃最大射程距離は33間(60M)とされています。(飫肥城での合戦)飛翔するだけなら四半的でも100間(180M)は必要でしょう。戦国期における弓足軽の採用基準は、大弓で一町(300M)超えができ、矢数をかける事が出来るのが必須条件でした。そのように考えると、戦場の弓の強さは簡単に計算する事が可能です。四半弓でも10キロ以上の弓力になると、右手で筈を挟む射法では矢数を射掛けることは出来ません。推測ですが戦場での射法は、右手で筈を挟むものではなく、右手親指の腹で弦を掛ける大弓の射法(ゆがけ着用)に近いものではなかったと思われます。この射法だと、右手親指を保護するために鹿皮でチョンガケ(親指の保護手袋)を使用していたと考えられます。チョンガケは鹿皮の一枚物ですから、これを付けたままでも刀の使用は十分に可能だそうです。

 

■ 戦場射法 薩摩日置流腰矢について■


日置流の「腰矢」とは、射手の前方に敵陣と見立てた的を並べ、射手は交互に矢を射ながら前進していゆく戦場射法だそうです。弓兵の後方にいる指揮者が適切な指示を出す弓隊の集団戦闘の形体になります。弓隊を前後2段に分け前弓が矢を射る間に後弓が箙(えびら)から矢を抜き弓につがえ、次に後弓は矢を放ち終わった隣り合う前弓の前に出て射るのです。こうして前弓、後弓を交互に同じ動作を繰り返しつつひた押しに前進して行き、敵陣近くなると弓隊は敵の矢を避けるために伏せて素早く矢をつがえます。「伏射の形」で敵の眼前に至るまで射続け、最後に槍隊と共に抜刀して本陣に斬り込みます。これは、まさに飫肥城の奪還で伊藤家の弓隊が用いた合戦手法です。 


四半的弓道 関東稽古会/古武道愛好家 

http://www.rak3.jp/home/user/heiseiryu/ 







RAK2ホームページ作成
>> 誰でも作れる、超!簡単な無料ホームページ
あなたのホームページ・メールマガジンに広告を載せてみませんか?
成功報酬型で広告費を支払うエーハチネットがおすすめ。
  簡単!無料HP
  @games
  ゲーム特集
×